Introducing the outline of my favorite music

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現在、私が聴いている音楽は、ヘヴィメタルとラップを除いた広いジャンルの音楽です。子供の頃はTVアニメやドラマの主題歌や挿入曲、スポーツ中継で使われた曲が記憶に残っていた程度でした。小学生時代は歌謡曲を聞いていたし、ニューミュージックと呼ばれていた音楽が好きだった時代もあります。中学2年生以降は、洋楽が中心となって長く時間が流れました。これまでに沢山の音楽を聴いて時代と共に趣味趣向は変化してきました。
プレ・ポップス時代 (1965.10.14~1979.10)  小学生時代は、洋楽はほとんど全く聞いていなかった。強いてあげるならビージーズの「恋のナイトフィーバー」が大ヒットし、ベイ・シティ・ローラーズの人気があったということが記憶にあった程度である。小学生時代は子供向番組の挿入曲や プロレスや刑事ドラマのテーマ曲が好きだった。小学校の高学年の頃は太田裕美が一番好きな歌手だった。その後、ポール・モーリア楽団を初めとしたムード音楽、ティト・プエンテ楽団を初めと した中南米音楽や「クワイ河マーチ」を代表とするマーチング・バンド等にまで興味を広げていた。「世界のマーチ」、「バック・グラウンド・ミュージック」といったAMラジオ番組を好んで聞き、歌のない音楽が好きだった。  中学校に入学してからは他の小学校から進学してきた周囲の影響もあって当時流行のニューミュージックを好んで聞いていた。さだまさし、アリス、庄野真代世良公則&ツイスト、ゴダイゴサザンオールスターズなど歌謡曲に比較的近いタイプの人が好きだった。
ABBAファン時代(1979.5~1983.12) (1997.9.12~ ) ABBA、ビートルズビリー・ジョエル
ニュー・ミュージックがブームでなく定着した頃、再びアイドル・ブームが到来するが、歌謡曲に対しての興味をほぼ完全に失ってしまった。ラジオのリクエスト番組では多くの日本の曲に混じってABBAの人気が際立つようになる。特に1979年から1980年にかけての人気は凄かった。実際に最初に買ったレコードは、シングルもアルバムのABBAでほとんどそればっかり聞いていた時が半年以上も続いた。エア・サプライは当時大好きなグループだった。
ポリス・ファン時代(1980.6~1983.10) ポリス、ビートルズローリング・ストーンズ
ABBAがアルバム「スーパー・トゥルーパー」を出す頃には、洋楽の知識もかなり貯えられてきて、それまで積極的でなかったロックも好んで聞くようになる。実際はロックが嫌いだったからでなく何から聞いていいのかも良く分からなかったこの頃特にクイーンの「愛と言う名の欲望」、ポリスの「孤独のメッセージ」、ジャムの 「ゴーイング・アンダー・グラウンド」といった曲は好きだった。
チャートマニア時代(1980.1~1986.12) 小林克也湯川れい子、坂井孝夫、今泉恵子、矢口清治大貫憲章、全米TOP 40、全英TOP 20
日本よりもチャート・アクションの早い英米のヒットチャート番組を見つけて毎週のように聞いていた。ビルボード、ミュージック・ウィークと言えば英米のヒットチャートの権威であるが特に中学生から高校時代当時はくっきりと色合いが別れていた。特にイギリスは、パンク、ニュー・ウェイブ以降に登場した若いアーチストが多く、アメリカは70年代に力を貯えたベテランがその余力を維持しているといった色分けであった。それが、打ち破られるのが1982年の初頭から静かに始まった第2期ブリティッシュ・インヴェイジョンである。ヒット・チャートの下の方に登場した、ソフトセルとヒューマン・リーグを皮切りにデュラン・デュラン、ワム、カルチャー・クラブといった面々がブームの中心であった。しかし個人的 にはやはりポリスの活躍が嬉しかったこの時代であった。
朝のポップス 若宮てい子 他
通学前の朝の7時台、さわやかなストリングの音楽に乗せて、NHK-FMの大阪放送局から全国に届けられていた番組。新しい曲から古い曲まで織り交ぜてかかる番組で週毎に3~4人のお姉さんが入れ替わり ながら面白いおしゃべりを交えて曲を7~10曲くらいかけるというものだった。ミニー・リパートンやトレイシー・ソーンのこはこの番組で知った。情報はAMのチャート番組、エア・チェックは主にこの番組を初めとしたFM番組だった。
ロック趣味多様化時代(1981~1988.12) サウンド・マーケット、ミュージック・シティ、ポップス・ア・ゴーゴー、ミュージック・マガジンレコード・コレクターズ、西田珠美、シリア・ポール、萩原健太、上柴とおる、ピーター・バラカン
 時間に任せて聞くジャンルはますます広がっていく。ロックのルーツ、ライヴ・スペシャル、グラミーのレポート、レーベル毎の音楽分析は、サウンド・マーケットやNHK渋谷陽一の情報番組、バブルガムやサイケのシングル等はポップス・ア・ゴーゴー、イギリスの音楽は ピーター・バラカン氏の番組「NHKミュージック・シティ~ロンドン発」を通して、新譜や論評はミュージック・マガジンレコード・コレクターズといった感じ。ヒット・チャートも相変わらず追いかけ ていたが、1986年頃が最後である。また作曲家やレーベルといった視点では萩原健太氏選曲の番組が勉強になった。
ソウル回帰時代(1984.7~1995.12) ジャイアンツ・オブ・ソウル」、「ホワット・イズ・ソウル」等NHK特番と86年以降のソウル・リイシューブーム、ピータ・バラカン、大伴良則など
 それまでモータウン以外のソウルはほとんど聞いたこと無かった。アトランティック・ソウルやゴスペル系、フィリー・ソウルといったものをまとめて紹介する番組で過去に聞き逃してきた良い音楽に気付く。また、白人ブルーズから黒人音楽に詳しい高校時代の友人の影響も受けていた。ポール・バタフィールド・ブルーズ・バンドやフリートウッドマックの演奏の素晴らしさは 私のようなポップス畑中心の人間にも十分に理解できる。
コレクター時代
(1984.4~1994.12)
(1997.9~)
ビートルズトッド・ラングレン
 CDブームも手伝ってキンクス、T・レックス、トッド・ラングレン、フランク・ ザッパなどのリイシューが当時のバックテイク・マニアの間では最大の話題だったと記憶する。私は 東京のマニアックなショップでNAZZやTODDのLPを買っていたが、結局大学の生協で後にCD化された時に全てを買い揃える。
ニュー・オーリンズ
R&B時代

(1989/9~1985.12)
 バラカンさんの番組Bayfmのベイ・シティ・ブルーズを発見して毎週のように聞く、ブルーズ やジャズにも少し染まり始める。やはり、高校時代の友人との会話が弾むこともあって黒い音楽 に傾倒していくが現代の音楽で一番素直に受け入れることができたのはネヴィル・ブラザーズの 活躍もあってニューオーリンズの音楽で、 プロフェッサー・ロングヘアドクター・ジョン の素晴らしさにも気付く。何と言っても、1994年夏に豊橋で行われたライヴ・セレブレーションは 今でも思い出深いものがある。
ライヴ体験時代
(1985.8.10~1997.7.4)
 それまで田舎で見たくても見られなかった鬱憤を晴らすかのように延べ60公演100演奏者を 超える演奏を生で体験する。特に印象的だったのはやはり、スティングトッド・ラングレンネヴィル・ブラザーズ、ポール・マッカートニーといったところである。
日本のロック回帰時代
(1989.1~1997.5)
 ミスター・チルドレン、マイ・リトル・ラヴァー、チャラを初めとした60~70年代 の洋楽を彷彿させるグループの登場で少しずつだが再び日本の音楽も聴くようになる。奥田民生パフィのアレンジや、チューリップの復活といった現象は、90年代中後期にいい色合いを添えてくれたと受け止めている。
音楽停滞時代
(1994.9~1997.5)
 ニュー・オーリンズ観光計画が始まる頃(1994年から暮れ)から、1997年の5月頃までMACに夢中で新しい音楽をほとんど聴かなくなる。途中で学習のためにDOS/V機を自作するが1996年以降はMACが 不調で、WINDOWSの設定もしていて、音楽ソフトを手に入れるには金銭的余裕がなかったし時間も 無かった。
パソ通
インターネット時代
(1997.5~)

NIMで音楽四方山話に復帰。以前のような新譜の開拓意欲には欠けるが、知り合った人々との 話題の中で興味の沸いた物は聞いてみようという姿勢がよみがえってくる。

オフミーティング

パソコン通信が発展して、自分と接点のありそうな人と会うことによって新たな発見を求めていく。

CS視聴開始とエアチェック熱の復活
(1998.8~)

何と言っても引越しで聞けなくなってしまったインターFMをいかにして聴くかが緊急課題だった当時見つけた手段が、第一興商のCSラジオであるスターデジオ。月1200円で100チャンネルとリーズナブル。嬉しいことにインターFMが聴ける。第一興商と関係ないがCSではJ-WAVEも聴ける。ここで期待していた「バラカンビート」は当然のことながら、上柴とおるさんと「バック・トゥー・ザ・ポップス」と言う番組で再開を果たすことになる。一度も聞き逃したくない。必要なときに振り返りたいという思いから2つの番組を毎週のようにMDでエアチェックをするようになる。1999年の春になって上柴さんの番組は終わる。

バラカニック至上時代
(1999.4~2010.12)
NHKでバラカンさんの2時間番組「ウィークエンド・サンシャイン」。また同時期にVIEWSICでは「PBS(Peter Barakan Show」の放映、第一興商スターデジオではPB'sブルーズが始まり、音楽番組だけで週6時間の視聴時代に突入する。2004秋頃だったと思うが、Barakan Beat打ち切りの危機が最初訪れたとき立ち上がったBarakan Beat Listner's ClubのMLに参加し、関連のオフ会に参加したり、音楽に纏わるプロのDJや批評家が主催で行なうイベントに参加して興味を広げた時代だった。
ポリス・リユニオン発表から正式解散まで
(2007.1~2008.12)
1984年のSynchronicity Tourを最後に開催状態だったポリスが突如リユニオンでのワールドツアー2007/2008を発表。彼らの追跡を中心に音楽生活が回る日々が続いた。
木村カエラ
(2006.5~現在)
2006年5月4日に日比谷野外大音楽堂で見た「Circle Tour」ファイナルを皮切りに木村カエラ興味を持ち、2007年にはSadistic Mica Bandに加わった活動。2008年のポリス正式解散以降はポリスロスを埋める存在になって現在に至っている。
CD購入/ライヴ抑制時代
(2009.1~現在)
2007年のサブプライム問題、2008年のリーマンショックの煽りを受けて音楽ソフトは以前のように購入できなくなってしまった。学生時代のようにエアチェック中心の生活に逆戻り。それでもどうしても見たいライヴには極力足を運ぶようにと思っていたが実際はこちらも激減した。購入した作品の年間ベスト選出は2007年を最後にやめた。
好きなミュージシャン

[ポップス関連] ABBAオリヴィア・ニュートン・ジョンホイットニー・ヒューストン、マリア・マルダー、ジャッキー・デシャノンローラ・ニーロ

[ロック関連]ビートルズ、ポリス、スティング、プリテンダーズ、トッド・ラングレンキンクス、フー、ビーチ・ボーイズボニー・レイット

[白人R&B] フリートウッド・マック、スペンサー・デイヴィス・グループ、 バタフィールド・ブルーズ・バンド、ポール・バタフィールド・ベター・デイズ、ジェフ・マルダー

[ニュー・オーリンズR&B] ネヴィル・ブラザーズ、アレン・トゥーサン、プロフェッサー・ロングヘア、ドクター・ジョン、ロニー・バロン

[ワールド関連]アビブ・コワテ&バマダ、ヴァルティナ

[歌謡曲] 太田裕美小泉今日子AIKO

[日本のロック] ボ・ガンボズ、ミスターチルドレンパフィー、マイリトルラヴァー、UA、リンドバーグプリンセス・プリンセス木村カエラ

[好きな作曲家] ジョージ・ガーシュインジョン・レノンポール・マッカートニージェフ・バリー&エリー・グリーンウィッチ、ジェリー・リーバー&マイク・ストーラー